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2009年01月 アーカイブ

2009年01月11日

ロールプレイングゲーム

『指輪物語』は世界最初のロールプレイングゲームである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に大きな影響を与え、その後のエピック・ファンタジー風のロールプレイングゲームやコンピュータRPGなどに直接・間接の影響を与えている。『指輪物語』を原作とするテーブルトークRPGとして『指輪物語ロールプレイング』(Middle-earth Role Playing、略称MERP)も存在する。また、ロールプレイングゲームを元ネタとする『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』などのファンタジー作品の多くは、『指輪物語』風の世界観を踏襲しており、特にエルフの扱いに関しては、同作品の捉え方に大きく依っている。

ローグライクゲームのような、アマチュア制作が主流である作品群への影響も強く、Angbandは世界観をそのまま採用している。ハッカー文化のようなテクノ・サブカルチャーでも好んで引用される「お気に入り」の作品の一つとなっており、スラッシュドットのような技術系ニュースサイトでも、頻繁に指輪物語ネタが振られる様子すら見られる。映画化の折には、作品内容に踏み込んで、熱心なファン活動も見られた。

米国ボストン(マサチューセッツ州)に拠点をおくTurbine社が新たにMMORPGとして『The Lord of The Rings Online -Shadows of Angmar』(略称:LOTRO)を開発、2007年Q1に正式リリース。こちらは映画ではなく小説に基づくストーリーラインで、原作に登場するキャラクターがNPCとして登場する。2006年8月、さくらインターネット社が日本での販売権利を獲得し、2007年6月よりサービスを開始している。


ボードゲーム
『指輪物語』は、幾度もボードゲーム化されている。

『War of the ring』 SPI社。旅の仲間の冒険を描くキャラクターゲームに、軍事的な衝突を描いたキャンペーンゲームをアドオンする形になっている。ほかにミニサイズのウォーゲームである「サウロン」と「ゴンドール」も出版された。
『The Fellowship of the ring』 I.C.E.社。ダイスを使ったブラインド方式の冒険主体のゲーム。
『指輪の謎』 ホビージャパン。 I.C.E.社の『The Riddle of the ring』の翻訳。 黒の乗り手と指輪を奪い合うゲーム。
またジャクスン監督の映画三部作の公開と前後して、新作がいくつも作られた。

ライナー・クニツィア(Reiner Knizia)のデザインする作品やRiskの変種のいくつかのゲームは『指輪物語』や関連作品に直接上に基づいている。

『ロード・オブ・ザ・リング ~指輪物語~』カプコン。Hasbro社の『The Lord of the rings』の翻訳。ドイツ人ライナー・クニツィアがデザインした多人数協力ゲーム。ホビットの一人としてプレイヤーはパーティーを組み、ゲームシステムと戦いながら指輪を破壊する旅の完遂を目指す。この作品には拡張キットも出版されている。
『Lord of the Rings:Friends & Foe Expantion』FANTASY FLIGHT GAMES※「指輪物語ボードゲーム(Lord of the Rings)」カプコンの拡張キット。
『Lord of the Rings:SAURON Expantion』FANTASY FLIGHT GAMES※指輪物語ボードゲーム(Lord of the Rings)」カプコンの拡張キット。サウロンのプレイヤーが追加。
『Lord of the Rings:Battlefields Expantion』FANTASY FLIGHT GAMES※※指輪物語ボードゲーム(Lord of the Rings)」カプコンの拡張キット。6つの大きな戦いを、それぞれ新しいゲームボードプレイします。
『War of the ring』 FFG社。FFGから発売された新しい『War of the ring』は、一つのボード上で旅の仲間の冒険と、軍事的な衝突を、並行して、また関連させて進めるゲームになっている。拡張キットが出版されている。
『Lord of the Rings -War of the Ring-』R. Di Meglio, M. Maggi & F. Nepitello, FANTASY FLIGHT GAMES,指輪物語の世界を舞台にエルフ、ゴンドール、ドワーフ、サウロン等の勢力が指輪をめぐっての攻防戦。
『War of the Ring Battles of the Third Age』FANTASY FLIGHT GAMES※『Lord of the Rings -War of the Ring-』の追加セットです。ヘルム峡谷とミナス・ティリスの戦いを再現。
『Der Herr der Ringe Die Entscheidung』 KOSMOS社。ミニサイズの軍人将棋のようなゲーム。相手の所在や意図が分からないという構図を作り出ている。ライナー・クニツィアのデザイン。
『Der Herr Der Ringe Das Duell』 KOSMOS社。モリアの坑道でのガンダルフとバルログの決闘を描くカード主体のゲーム。ピーター・ノイバウアーのデザイン。
『Der Herr Der Ringe Die Gefährten - das Kartenspiel』KOSMOS社。第一部『旅の仲間』のカードゲーム。ライナー・クニツィアのデザイン。
『Der Herr der Ringe: Die Zwei Türme (Kartenspiel)』KOSMOS社。第二部『2つの塔』のカードゲーム。ライナー・クニツィアのデザイン。
『Der Herr der Ringe - Das Kinderspiel』KOSMOS社。子供用ゲーム。ライナー・クニツィアのデザイン。
『Lord of the Ring -The Confrontation-』Reiner Knizia,FANTASY FLIGHT GAMES
『Lord of the Ring -The Confrontation- Deluxe(指輪物語-対決-デラックス)』 Reiner Knizia,FANTASY FLIGHT GAMES※同社から発売されていた「Lord of the Ring -The Confrontation-」のデラックス版です。

プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム

2009年01月19日

浴衣(ゆかた)

浴衣(ゆかた)は和服の一種である。

平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる。湯帷子は、平安中期に成立した倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によると、内衣布で沐浴するための衣とされている。この時代、複数の人と入浴する機会があったため、汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたという説がある。安土桃山時代頃から、湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的でひろく用いられるようになり、これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となった。「ゆかた」の名は「ゆかたびら」の略である。

通常は木綿地の単物で、和服の中で最も単純かつ基本的な構造となる(このため戦後のある時期まで家庭科の授業では浴衣を縫うことが多かった)。着用の場合には、本来は素肌の上に直接着るものとされており、近年では下着を着用することが多くなったが、それでも和装用スリップや肌襦袢程度である。生地が薄く、開放的で風通しがよいことから、もっぱら夏場や湯上り、あるいは寝巻きとしての用途が主である。また、男子は三尺帯、女子は半幅帯で着るのが古風であるが、明治以降兵児帯(へこおび)が流行したこともあって、これを用いることもある。さらに最近では男子は角帯を用いることも多い。角帯は元来浴衣には合わせないものとされていたが、この意識は薄れつつあるように見受けられる。事実、浴衣と角帯のセットで販売されることも珍しくない。

浴衣に合わせる履物は、素足に下駄が一般的である。浴衣と下駄はセットでも販売されているが、もちろん下駄は好みのデザイン・鼻緒でよい。最近では浴衣に足袋をはいて草履や雪駄を履くこともしばしば見られ、さらにはビーチサンダルや洋服用のサンダルを合わせる人もいる。

元来が略装の最たるものであるから、浴衣で出かけられるのは気取らない場所にかぎり、この格好で人と会うのは失礼とされる。ただし現在では和装そのものが稀になりつつあることもあり、こうしたしきたりをあまり感じない人も多い。むしろ、夏の祭りなどの行事に浴衣をわざわざ着て行く以外に、習慣として和服を着る機会が少なくなっている現在、浴衣の着る機会の多い若い女性を中心に、浴衣は略装であるという感覚も失われつつある。

現代の日本の生活で浴衣が用いられるのは、主に花火・縁日・盆踊りなどの夏の行事である。また温泉街では浴衣を着て下駄を履くのが雰囲気を出すのに重要として、浴衣着用を前提としたまちづくりをしてあるところもある。浴衣は色鮮やかで、下駄も音が好まれるため、祭り、温泉とも華やかな雰囲気になるとして、浴衣・下駄着用前提の取り組みは増えつつある。デパートや商業施設、観光関係やサービス業の従業員など夏の制服として着用する例も多くなった。近年女性用ではミニスカートのように裾が膝より高いタイプも存在する。

最近では、温泉街や祭りなどを鮮やかにするため、みんなで気軽に浴衣姿になってもらおうと、旅館で宿泊客に浴衣と下駄を貸し出したりプレゼントする、観光施設で浴衣を貸し出すところも出るなど、浴衣は人気があり、浴衣が温泉地の一種のリゾートウェアとなった。

また日本独特の風習として、旅館やホテルに寝巻きとして客用の浴衣が用意してある場合が多い。 また、日本舞踊などのお稽古着として使用されることもある。

浴衣はもともと白地の木綿を藍で染抜くのが原則で、柄も大胆なものが多かったが(右図参照)、近年では和服を着る唯一の機会が浴衣ということも多くなり、華やかな色合いと柄のものなど多様化してきている。生地も、浴衣本来の木綿ではなく、麻を混ぜたものやポリエステルなどを用いたものも多い。浴衣の多様化によって、かつては一目瞭然であった浴衣以外の着物との境界は極めて曖昧になっており、柄によってはひとえの着物として着用できるものも現れている。

和服のなかでは比較的安価であることから、別誂えの反物を染めて歌舞伎役者などが贔屓への配りものとすることも多かったが、最近ではこうした風習も徐々に少なくなりつつある。角界にはまだかろうじて、関取が自分の名前の入った浴衣生地をひいき筋や他の相撲部屋に贈るという風習が残っている。もちろん、自分の気に入った柄で、オリジナルな浴衣を仕立てる力士もある。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ


乞巧奠(きっこうてん)の慣習と織女祭に因み、日本ゆかた連合会により7月7日がゆかたの日と制定されている。

着付けも普通の和服に比べて比較的安易で、かつ安価であることから、民族衣装として、手頃なお土産物や通販などで外国人にも人気がある。そしてもちろん、日本人に現在も愛され続ける伝統文化の一つである。

2009年01月27日

日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)

日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、第二次世界大戦に於いて日本本土に対して行われた連合国軍による空襲。特に1944年末頃から熾烈となった。その結果、日本全国の主要都市の殆どが灰燼に帰し、空襲は1945年(昭和20)8月15日の終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。なお、幾つかの都市では、空襲とあわせて艦砲射撃も行われており、本稿でも記載する。

この結果については、戦後、米国戦略爆撃調査団による報告書が出されている。
日本本土の初空襲は1942年4月18日のドーリットル空襲で、航空母艦から陸上機であるB-25中型爆撃機を発進させ、空爆を成功させた。この空襲は大本営に危機感を抱かせ、ミッドウェー海戦に繋がった。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

その後、B-29戦略爆撃機による本格的な大規模空襲は1944年6月より北部九州に対して中国大陸の基地から行われた。同月マリアナ諸島が陥落すると、東京をはじめ日本本土の大半が爆撃圏内に入り、1944年末頃から空襲は熾烈化した。但し、B-29の航続距離限界から北海道に対する空襲は 空母艦載機及び艦砲射撃に限定された。

軍需工場が主たる目標となっていたが高高度爆撃であったために精度が低く被害は限定的で、爆撃を指揮していたヘイウッド・S・ハンセル准将は人道的な配慮から民間施設への空襲は行わなかったが効果が低かった為更迭され、1945年1月に無差別爆撃を主張するカーチス・ルメイ少将のグアム島第21爆撃集団司令官への着任以降、無差別爆撃へと移行した。

その結果、日本のほとんどの主要な都市が空襲に遭い、特に主要な都市は大規模空襲に遭った。また、釜石、室蘭、日立、清水、浜松など、製鉄所や軍需工場が存在するいくつかの工業都市は艦砲射撃によっても破壊された。

中でも同年3月10日の東京大空襲は一夜にして死者10万人という未曾有の被害を出した。

しかし、その中で京都は、大都市にもかかわらず大規模空襲に遭っていない(後年誤解されがちだが、まったく空襲がなかったわけでは無い。後述するように京都も何度か空襲の被害を受けている)。これは原爆投下目標の候補の一つであったためであり、投下目標都市の広島・京都・小倉・新潟には大規模空襲が禁止されていた。だが陸軍長官スティムソンが、宗教・文化の中心である京都の破壊による戦後処理への影響を考慮して京都案に反対。最終的に投下目標都市は広島・小倉・新潟・長崎となった。

また文化財保護の目的で作成されたウォーナーリストによって京都の大規模空襲が避けられたという逸話が戦後すぐに日本国内で流布されたが、このリストは文化財返還および賠償弁済のための資料であったという説も主張されている。ドレスデン爆撃やモンテ・カッシーノ寺院空襲の例もあるように、アメリカ軍は歴史文化財へ特別な考慮を払っておらず、京都が大規模空襲に遭わなかったのはアメリカ軍の歴史文化への敬意に基づくものではない。

アメリカ軍による民間人への無差別爆撃は戦時国際法違反だとの意見は未だ根強くあるが、サンフランシスコ講和条約によって日本国政府がアメリカへの補償請求権を放棄したため、無差別爆撃に関する補償は行われていない。

1942年4月18日 ドーリットル空襲
1945年2月15日 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲。関東の軍需工場が標的。
3月10日 東京大空襲 死者約8万~10万。負傷4万~11万名。焼失26万8千戸。
4月13日 城北大空襲 B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
4月15日 B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として大森・荏原方面。
5月24日 B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
5月25日 B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。
東京は1944年11月14日以降、上記の大空襲を含む106回の空襲を受けた。

名古屋
1944年12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。

1945年3月12日 名古屋大空襲 B29・288機。死者602名。負傷者1238名。全焼2万9千戸。
3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。

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